アハ・コラム

移行期に関する少考

生産性が上がるのは移行期だけ

 ある業界で「新技術の導入」が始まったとします。多くの場合は「高価な設備の導入」を伴います。導入の早い企業は、未導入の他社に対して、QCDのいくつかにおいて、競争力が高まります。競争力が高まると、市場占有率が高まり、売上が増えます。もちろん、これが導入の大きな目的です。
 重要なのは、利益が増えるかどうか。これが「生産性」です。投入する資源の規模と、いかにそれを短時間で圧縮し、上回る利益を得られるかにかかってきます。利益は、次の投資の原資にもなります(これ大事)。
 一方で、競争力が低下した企業はどうなるのか。それでも導入を避ける場合、血のほとばしるコストカット(主に固定費)が必要になります。遠からず、存亡の岐路に立つでしょう。しかし、後追いで導入する場合も、恐らく、行きつく先はレッドオーシャンです。しかも、先行した他社をも巻き込んでの死闘となります。
 もちろん、市場が拡大しているうちは問題はありません。しかし、需要が頭打ち、あるいはマーケットサイズが決まっている場合には、参入企業が増えるほど、「価格と納期」の世界に収束します。うまい(高品質)は、当たり前。
 せっかく導入した高価な設備は、自社の生産性を上げるどころか、薄利となって投資回収(多くは返済)が難しくなり、さらには業界全体の生産性をも下げてしまいかねない。つまり、既存の成熟市場で生産性向上、実態としては、競争力の「維持」に重要なのは、導入するか否かではなく、「導入のタイミング」です。「うちもそろそろ」では遅いのです。

先行者は安住せずに次の移行期へ

 成熟市場で勝者、すなわち残存者となるには、変化に対して、他社に対して、とにかく継続して先行する必要がある。残存者となったほぼ全ての企業は恐らくそうしてきたはずです。
 この先行するための原資となるのが、「利益」です。融資(他人資本)や、増資(自己資本)という選択肢もありますが、その返済や配当は利益から行われます。つまり「利益の前借り」です。よって利幅が大きいほど、次の投資に有利になる。利幅を大きくするには、先行する必要がある、という輪廻。
 少し話は逸れますが、本来、この原資となるのが「減価償却費」です。減価償却費は、「自由に使えるお金(フリーCF)」の一部ですが、借入があれば、返済原資(営業CFから財務CFへ)となり、なければ、現預金として次の投資に備えます。
 話を戻します。タイムリーに導入し、先行を続ければ好循環、後追いを続けると悪循環のループに入りやすくなる。前者が事業を拡大し、後者が縮小していくのは想像に難くありません。もちろん、このタイミングの見極めが難しい。見誤れば、投資が無駄になることもあるでしょう。しかし、恐らくやらないよりはいい。「許容可能な損失」の範囲で。

悪循環からの移行

 では、悪循環にある企業はどうすればよいのか。「大規模投資で挽回」や「ノウハウのない多角化」は、よほどの勝算がなければ危険です。財務面だけではなく、社内にも大きな歪みを生み、とどめの一撃となりかねません。
 一案として、勝負する土俵を変えてみる。勝負する土俵を変えるとは、ビジネスモデルを変えること。例えば、商品の「定義」を変えて、提供する市場を変える。あるいは、サプライチェーンの前後プロセスを取り込んで、取引先の利便性やコストメリットを高め、その一部を価格に転嫁する。すなわち、商品自体は変えずに「扱う課題」を変える。これは「枯れた技術の水平思考」に通じます。
 こうしたソフト面(仕組み)の変更によって、自社の提供価値を更新する。当然、その土俵は、今よりもブルーオーシャンでなければなりません。そこに自社の個性が生まれ、事業の希少性が高まります。
 もちろん、言うは易し。事業も人もそう簡単に変えることはできません。ソフト面の変更とは「内部からの変革」です。心理的なハードルは高く、そうしたマインドの育成も簡単ではありません。何より苦境を招いた経営陣のマインドが最大の障壁かもしれません。しかし、大きな投資や開発を伴わず、リスクは小さい。むしろ小さな挑戦から始めて、小さな成功を積み重ねる。気づいた時には大きな変化となっているのが望ましい。アイデアがあれば試してみる。取引先に提案してみる。社員や現場の意見を汲み上げてみる。その行動が、少なくとも次の挑戦への糧となります。現状維持は、相対的に見れば「後退」です。

社会自体が移行期にある

 さて、偉そうに御託を並べてきましたが、ここまでは従来型の産業、経済システムを前提とした考察です。産業革命以降とも言えるでしょうか。今は正しいとして、5年後にも通用するのかは、わかりません。
 今後は、生成AIの活用が生産性向上の鍵を握るとされますが、価値創造(売上増)とコストカットのどちらに効果を発揮するのか。現状では、代替される職種や職位が増え、後者の効果が高いようにも見えます。「ホワイトカラーがダメならブルーカラーだ」という回帰論もあります。しかし、少し引いて見れば、これも移行期の現象に過ぎません。
 ブルーカラーであっても、省力化設備や今年賑やかになったフィジカルAIなどによって、人手不足を補いつつ、置換されていくでしょう。我々に残されるのは、入力(課題設定)と出力(是非の判断)のみです。これらにしても、生成AIに対する信用さえ生まれれば、恐らく不要になります。つまり、従来の労働や生産、そして「所有」といった概念が成立しなくなる可能性がある。ちょうど6年前、コロナ禍の直前にもこうした話を書いていました。その現実味が増したのが、今年だったのでしょう。

 その中で紹介した動画ですが、思っていたほどには、社会実装が進んでいないようにも見えます。やはり変化には時間がかかるのでしょう。でも、確実に進んでいる。我々も日々、伴走していかないとその背中はどんどん小さくなります。
 

 こうした状況の中で「生き残り」のハウツーに、企業も個人も躍起です。敗者、弱者の救済や再チャレンジ、包括性が話題となることは少なく、自己責任論の下で、むしろ冷淡な印象を受けます。
 勝敗は、人間の行動意欲の源泉であり、恐らくはなくなることはありません。社会に緩やかなインフレが必要なのも、こうした性向と相性がよいのでしょう。しかし、ほぼ全ての労働が、いずれ機械やシステムに置き換わる可能性があるのであれば、労働や所有について、早急に社会制度を再設計する必要があります。仮に生き残ったとしても、その先のエコシステムにまで思考をめぐらせれば、生き残りへの志向は、長期的にはむしろ障害となります。「全体最適とは部分最適の排除」は、完全には難しいにしても、それを志向しない限りは、そこに向けての移行は困難です。そして、社会はすでにその移行期に入っている。日本では「幸い」にして、今後、人材不足や高齢化の進行による社会問題の深刻化が予想されており、移行を加速させる必然性があります。

 2030年まであと5年。社会も企業も、そして我々個人も、それを自覚して行動したいところです。